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豊川橋梁(とよがわきょうりょう)は、愛知県豊橋市の豊川に架かり、名古屋鉄道名古屋本線の豊橋駅と伊奈駅の間にある鉄道橋である。 橋梁のある区間(豊橋・平井信号場間)は東海旅客鉄道(JR東海)飯田線〔飯田線における豊川橋梁は船町・下地間である。〕との共用区間であり、それぞれの単線を共用して、実質的に複線として使用されている。本項では、名古屋鉄道が所有する上り線の橋梁について述べる。 == 概要 == 1927年(昭和2年)6月、愛知電気鉄道の豊橋延長時に架橋された。この際、1897年(明治30年)に豊川に架橋〔後の飯田線下り線の橋梁であるが、1974年(昭和49年)2月に東海道本線の豊川橋梁架け替えに伴い、同線下り線の旧橋梁を流用して線路を付け替えたため、開業当時の橋梁は撤去され現存しない。下地駅#構造を参照。〕していた豊川鉄道と線路共用を行う協定が結ばれ、上り線を愛知電気鉄道、下り線を豊川鉄道が所有し、共用により実質的に複線として使用されることとなる。1935年(昭和10年)に愛知電気鉄道は名岐鉄道と合併して名古屋鉄道になり、1943年(昭和18年)に豊川鉄道の路線が国鉄に戦時買収〔会社としての豊川鉄道は1944年(昭和19年)3月1日に名古屋鉄道と合併(ただし、証券類等事務上の処理のみ)〕された後、1987年(昭和62年)にJR東海になった後の現在も、この協定により名古屋鉄道の豊川橋梁をJR飯田線の列車が通過する。 この上り線の豊川橋梁の所有は名古屋鉄道であるが、信号取扱い・給電・保線などの基本部分がすべてJR東海の管轄となっている。特に信号・転轍は東海総合指令所の管理下にあるため、飯田線が優先となる。それに関連して、名鉄の列車のみ橋梁直前にある第1閉塞信号機の減速信号現示により65km/hの制限を受けることが多い。また上路ガーダー構造のため、台風など強風による運転規制を受けやすく、その場合伊奈 - 豊橋間が不通となる。 * 供用: 1927年(昭和2年)6月 * 延長: 249.5m 単線式 * 構造: 鋼上路桁 * 区間: 愛知県豊橋市横須賀町 - 愛知県豊橋市北島町 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「豊川橋梁 (名鉄名古屋本線)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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